成功する起業家が持っている24の資質・11『進取(しんしゅ)の気性』

ニュースレターでお送りしている「成功する起業家が持っている24の資質」の11番目の資質、『進取(しんしゅ)の気性』についてお送りいたします。

今回、こちらに書かせていただく24の資質は、私自身が38年の起業家として観てきた企業のトップや成功したクライアント達、そして、2012年から個人コンサルテーションをさせていただいた330名あまりのクライアントを観て分析したり、自分自身で経験したことからまとめた内容です。

あなたのマインドセットにお役に立てたら幸いです。

『進取(しんしゅ)の気性』とは、従来の慣習にこだわらず未知のものを試すのを決して恐れない気性のこと

『進取(しんしゅ)の気性』とは、耳慣れない言葉かもしれませんが、従来の慣習にこだわらず未知のものを試すのを決して恐れない気性のことです。

これは、たくさんのリスクを想定しながらも経験からくる知恵を酷使し、失敗も成功も踏まえた上で未知のことにも果敢にチャレンジしていく気質のことなのです。

数年前に恵比寿に「愛媛県のうどんチェーン店」ができました。

先日ふと「もしや?」と思い、店内に入って店内インテリア、ロゴマーク、装飾を見ながら代表的なうどんを1杯いただいた途端に30数年前の出来事にいきなりタイムスリップしたのです。

時代は、1987年~1990年。

私がデザイナーとしてフリーランスの時を経て、デザイン会社を設立した頃の話です。

今日のお話に出てくるH氏とは、1987年の夏に初めてお会いしました。

愛媛県のとある地方都市で、海運会社を経営なさっていた2代目の経営者H氏がまだ40代の直前の頃のことです。

私とは10才くらい離れている、若頭取と呼ばれるような雰囲気の方でした。

お知り合いの商社マンにご縁を繋げていただき、お仕事仲間というよりも飲み仲間としてお会いしたのがキッカケです。

H氏の背景は、お父様が戦後の復興の時代に、自社で船を作り、海外から日本に食品や物資を運び成功し、業界では「中興の祖」と呼ばれている方の長男として生まれました。

8才の頃から、跡取りとして英才教育を受けてきた方です。

初めてお会いした時に、物静かで決して出しゃばらず、それでいて周囲の方のそれぞれを観察しながら皆さんが楽しめるように配慮なさっているのが印象的でした。

そんなH氏に
「Hさん。お仕事がら世界中に行かれると思うんですけど、今どこに一番行きたいですか?何がしたいです?」
とお聞きしました。

そんな不躾な質問に対してこう答えてくださいました。
「そうやな~パナマの島に行って潜りをしたいかな。
しばらく行ってないけど、あそこはね。ちっさい国やけど会社もあるし、年に何度か行くのよ。
仕事が終わった後は、あっちでボンベを借りて数日行方不明になりながら(笑)、1人で海に潜るのよ。
それが一番の至福の時かな・・・」

そんな会話で始まったご縁が、実はその後ビジネス上での色々な示唆をいただける関係になるとは思ってもみませんでした。

生まれつき決められたレールの上を歩いているからこそ自由に生きる人を応援する

そんな出会いから2度目にお会いしたのが1987年の秋のことでした。

久しぶりにお電話をいただき、紹介したい人がいるからとのことで指定された場所に行ったところ、船主仲間のご友人をご紹介されました。

「珠美さん、Yを紹介します。
彼が、近い将来にベトナムに焼き鳥屋を開きたいって言ってるんで、相談に乗ってもらえないかな?」

私がYさんにご挨拶をし
「なぜ?ベトナムに焼き鳥屋なんですか?」
とお聞きしたところ、Hさんが答えてくださいました。

「僕たちの商売は、世界中から物資を日本に運ぶのが仕事でしょう。
僕の会社は、船のオペレーションは商社にやってもらって船だけ貸してる商売やけど、
Yのところは、これからの荷動きも考えるとベトナムに日本人商社マンが集まってきてるのを見て。
それで、その人たち相手に焼き鳥屋をやろうかと考えてるのよ」

Y氏は
「珠美さん。すぐの話ではないかもしれないんですけどね。
数年後には、ベトナムが拠点になると思うんですよ。
だから、今のうちに青写真を描いておきたいと思ってるんです」

とのお返事でした。

当時の私は、H氏やY氏のビジネスの全容をまだまだ理解できていない状況の中、ご依頼いただいた仕事をお引き受けすることとし、そこから、Y氏との月1回のミーティングのお席にH氏も同席される形でのご縁の深さとなって行きました。

ミーティングの後は、必ず彼らが常連となっている銀座のクラブへ。

同年代に近い綺麗どころのホステスさん達に混じって、随分と色々なお話をお聞きしました。

ある日、銀座のクラブのママから
「珠美さん、このお店後を引き継いでやる気は無い?」

といきなりのアプローチを受けました。

戸惑っている私を見ながら、隣に座っていたH氏が
「ママ、言いたい気持ちもわかるけどね~笑
この人はダメダメ。違う世界で生きてく人よ・・」

と。ポカ~ンとしてその会話を聞いていたら、

「珠美さん。あなたの良さは、相手の気持ちをほぐして開かせるところよね。
賢いし、話題も豊富だしね。
どんな人とも合わせられるでしょう。そこは、客商売には向いているけど。
でもね・・・人には生きてく世界ってのがあって、そこは譲っちゃいけないところよ・・」

と諭されました。

当時の私は29才。フリーランスになって3年目。

まだまだ自分の将来の姿がまだはっきりとは見えていない不安と、収入も不安定な状況の中でも、自分が生きていく世界(デザイン)だけは決めていることを、H氏が、気づいていることに驚きました。

「Hさん。良くわかりますね」

とだけ答えると

「そりゃね。
でも珠美さんが今の仕事(デザインの世界)で生きていこうと決めてらっしゃるのだけは、伝わってきますので。
銀座で生きていく人では、ないでしょう。
もちろん、銀座でも豪傑なママは居るし、その世界で立派にやってらっしゃる女性もおる。
でも、その大半は、アルバイト気分の流れて銀座に来ちゃったホステスですわ。
これでも女性を見る目は、少々鍛えられてるんですよ(笑)

僕は8才の頃から親父に連れられて、世界中の船主の船やヤード(ドック)などを見せられたんですよ。
オナシス(アリストテレス・ソクラテス・オナシス 世界の海運王)の作ったホテルも行って泊まったしね。
子供だったからね。行きたくないって言っても親父の言うことは絶対だったし。
服従するしかなかったんだわ。
今にして思うと英才教育なんだけど、自分の将来を自分で決められなかった環境には随分と抵抗したものよ・・」

「そんな環境だと、周囲のお友達と話が合いました?」
と私が聞くと、笑いながら・・・

「よう解るなあ。高校まではね、やっぱり合わないのよ。
愛媛の地元の高校では俺のような環境のものは、そうはいないしね。
だから大人しくしてたわ~~笑

でもね、大学で東京に出てきてからは親父が勧めた大学は1年で辞めて、自分が行きたい大学に入り直したりね。
でも、抵抗するのもそのくらいで、卒業してからは地元の親父が経営していたホテルの総支配人にさせられたりして、中居さんの仲裁に随分と骨をおったりしたんだわ~笑
ほんと・・・オペレーションが難しくてね。
特に女性の世界だから、僕には手に負えんと思って。
最後は大手のホテルチェーンに売却しちゃったけど」

とのお返事。

「あ~女性は些細なところで感情的になりますからね・・」
と相槌を打つと

「そうそう。女性の集団をコントロールできるようになるとビジネスは成功すると言うけどね。
僕には合わんわ・・・と(笑)、親父の本業を継ぐことになったのよ。
まぁ~これも親父の引いたレールに乗ってるってことですけどね。
今はまだまだ跡取りとしては尻が青いだの白いだの言われてますよ・・」

とのこと。

「良く踏ん切りがつきましたね?」
とお聞きすると

「僕には、他に選択肢がなかったのよ。
一族が全て、親父のビジネスに関わっていて、結婚相手も自由に選べないような環境でしょう。
現に俺の母親は、瀬戸内の同じ開運仲間の娘で親父とはいわば政略結婚。
僕は、それだけはしたくなくて、今の嫁さんは、大学時代のアルバイト先(船会社)に出入りしてた物販会社の娘なんだけどね。
それでも、同じ世界の人だわ。

瀬戸内はね、村上水軍の末裔が多いから、歴史的に見ても、その人達は今でも海運業に携わっている人たちが多い地域です。
僕の家は、本家ではなく分家ですけどね。
だから、自由に生きている人を見ると羨ましいと思うし応援もしたくなるのよね・・」

とのお話を聞きながら、何の手枷も足枷も無い自由の身であり、職業も生き方も自由に選択できる我が身が、本当はとても幸せなのだと実感したのです。

経営は人と金を動かして行ってなんぼ。リスクを考えつつ周りにも恩恵を与えるチャレンジを

そして・・・1週間後に運命のブラックマンデーが待っていました。

月曜日の朝、ニュースに流れてきている史上最大規模の世界同時株価の大暴落の画面を見ながら、H氏の会社は、大丈夫なのだろうか?と、解らないながらも不安に思っていた矢先の数日後、Y氏から電話がかかってきて、先のプロジェクトは中止とのことでした。

致し方ないと思いながらも、これでH氏とのご縁もなくなるだろうと少々残念に思っていました。

そして、半年後の1989年のお正月にH氏から、連絡が入ります。

「珠美さん。Yの件は、申し訳なかったです。
彼の会社に出資もしていたんですけど中止にせざる得なかったんで。
代わりと言っちゃなんだけど、紹介したい人がいるので今夜出れませんか? 」

もちろん、二つ返事で時間を調整し、指定された場所へ出向きました。

そこには、H氏と高校の同級生だと言うデザイナーのAさんがいらっしゃいました。

Aさんは、愛媛県の地元都市でトップのデザイン会社を経営なさっているということで、同じ業界では大先輩となります。

そんな方との引き合わせに少々戸惑どっていると、H氏が

「Aがねうどん屋をやらへんか?って言うんですよ。
それで、珠美さんにもちょっとご意見をお聞きしたいと思いましてね。
ミュンヘンの日本食レストランも順調に進んでいるんでしょう? 」

と。

私は、前回お会いした時にちょっとだけお話ししていた、ミュンヘンでの「日本食チェーン」のプロジェクトの話を良く覚えてらっしゃることに少々驚きながら、人の気持ちを逸らさない、どんなに小さくても相手の環境も認める気遣いに経営者としての鍛えられた資質を感じていました。

「どうして飲食業に進出なさるんですか?」
とずっと疑問に思っていた質問をすると、H氏は笑いながら

「珠美さんには不思議かもね。
海運業は、国に守られている既得権の商売だけどね。
それでも10年の内、9年は不況、1年だけが好況の業界なんですよ。
不況の時にどう耐え忍ぶかと、好況の時にこの先10年の準備をどれだけできるかにかかっててね。
一昨年のブラックマンデーで、友達の一船船主さんの中には、船を仲間に売っちゃって廃業した人もいたしね。
まあ、うちはなんとかなったけど、扱う金額は年間で100億単位でしょう。
だから、いくら会社のヤードや土地や家や不動産を持ってたとしてもたかが知れてるのよ。
借り入れは常にあるし。
かと言って、銀行もおいそれと潰すこともできない規模だしね。
だから、常に次に投資できる案件を探しているんですよ。
初めは規模は小さくても息が長いものをね。
もちろん僕が直接オペレーションをやるわけじゃなく、今回のうどん屋もAがプロデュースでやるというので、検討しているところなのよ。
それで、珠美さんの意見も聞いて見ようと思ったわけよ」

「チェーン店っていう発想ですよね?」
とお聞きするとAさんが、

「そうです、1店舗2店舗だったらHに話す意味がないですから」
とのこと。

Hさんが
「うちのところの船は、◯◯商事のオペレーションでマグロを摂って冷凍して運んでいるのよ。
商社は、それをシーチキンの缶詰にして販売するところまで、全て子会社や関連会社で運営する仕組みができてるのよね。
船が港に着いたところから陸の運搬も全てね。
それが大手のやってることよ。
そんな中でリスクをどこまで見ながら、投資を何年間で回収するかまで考えてるわけ。
だから、俺ら弱小が大手がやっていない領域で、最小の資金で、何ができるかをずっと考えてたんですよ・・」

とのこと。

「他にも出資なさっている案件などあるんですか?」
とお聞きしたところ、H氏は

「◯◯商事の食品を扱っている部署の奴がね。
ずっとエビを扱っててね、いわばエビのエキスパートよ。
そいつが今度、エビのスープの店(チェーン)をやりよると言ってきたのよ。
良いか悪いか判断がつかないけどね。
でも、機転の利く奴やし、エビだけをずっと扱っていた奴だから、おもろいと思ってちょっとね、応援しようと思ってますわ・・」

とのお返事。

「利益は、再投資に回しているってことですね?」
とお聞きしたところ、H氏は

「今年(1989年~1990年)は、10年に一度の利益が出る年ですから、もちろん、本業の方にも設備投資はしますが、船っていうのはね、まあうちの所の船は外海船だから大型船だしね、1船作ると、何十年も使うものです。
最後は、アジアの国の船主に売却するのも僕の仕事ではあるけど、そのサイクルは、また長期的なリズムなんですよ。
それはそれで手は打ってますから」

とのお返事でした

「投資をするときの決め手って何を基準になさるんですか?」
とついつい興味が湧いて聞いてみるとH氏は

「あはは・・・突っ込んできますね。
まあ、まずは頭に立つ人の人柄かな?
僕は、知らない案件や顔が見えない案件は、やりたくないんよ。
地元の銀行筋や東京の商社が、毎回こっちに(東京)に来るたびにいろんな話を持ってくるけどね。
知らない業界の話は、極力頭を突っ込まないことにしてます。
付き合いで、しょうがない時もあるけど。

今回の「うどん屋」の話は同級生のAからの話なのと、それと地元の「うどん屋」をモデルにするということなので、果たして四国の田舎のうどんが全国区になれるのかどうか?ちょっと興味を持ってね。
ま、コケたとしても補える範囲で済むでしょう。
ビジネスの運営プランもAがキッチリ出してきたし。
その通りには、いかへんだろうけど(笑)」

豪快に笑いながら話します。

隣に座っていたAさんは困った顔をなさっていましたが。

「Hさん。最初から、ダメだった時のリスクも考えてるんですね」
と相槌を打つとH氏は

「それはね、投資をするときの、まあ経営判断をする時の基本です。
Aの話や、先のエビの話は同じ業界の船主たちに取っては、馬鹿な話だと言われました。
すぐのリターンが無いだろうし、動くお金が小さいからね。
儲けも少ないと、指摘も受けましたよ。
彼らは親父みたいに、ホテルを作ったりね。もっと大きな話に乗りたがる。
それは、否定はしないけど、自分だけ良ければいいという話でもないじゃないですか。

うちの会社も数年前、僕の判断ミスで100億から300億にまで負債が膨れ上がり、本気で廃業を考えたことがあったのよ。
銀行筋に、持っているヤード(ドック)や不動産、船などの資産を、債務を引いていくら残るか試算してもらったら20億で、そんな金額かと思ったし。
それじゃね、親父とお袋、僕の所の家族、子供の代までと、僕の兄弟は生きていけるだろうけど、関わっている一族や、従業員は食いっぱぐれちゃいますよね。
その時に、なんとか踏ん張ってみて頑張れたのも、経営は人と金を動かして行ってなんぼ。
周囲の人も含めて、恩恵を預かれるようにしないと、自分とこだけ良ければ済むという話じゃないと実感したからなんです。
もちろん株や証券、保険なども持ってるけどね。

だから、今回の話も自分にとっては未知なもので、珠美さんにも聞いたりしてるんですけど。
でも、関わる人や、地域、もちろん僕にも利益は出ますよね。
それで、僕なりの判断で、チャレンジしようかと。
進取(しんしゅ)の気性って知ってますか?
子供の頃から親父にも耳にタコができるくらい言われてましたが、それを忘れちゃあかんな、と思ってるんですよ。
最近、それがやっと解るようになってきたってことですけど(笑)」

と丁重な答えをいただけました

私はH氏の経営に対しての姿勢を垣間見て、「うどん屋チェーン」への試みへのアドバイスを、快くさせていただく事としました。

成功している起業家は未知のものを試すことを決して恐れない。その姿勢に「幸運」が宿る

H氏の生きている世界は、私が関わっている目の前の世界とは違って、全く異次元でした。

目の前に繰り広げられた世界は当時の私には、半ば想像もつかない話ではあったものの、H氏のものの見方、人の見方は、強烈な印象として30数年経った今でも残っています。

それから数年して、話に聞いていたエビスープのチェーン店が街中に出没し、さらには、30数年経った時に
「うどん屋」のチェーンを、恵比寿で見かけるようになるとは・・・

ご縁をこんな形で確認できたことに深く感謝をしたのです。

成功している起業家は常にチャンスを追い求め、自ら作り出していきます。

でも、それにはリスクも伴い、場合によっては失敗することも多々あるでしょう。

それでも、彼らは他の人のモノサシで自らの判断を狂わすことなく、独自の判断力を磨きながら、自分だけではなく 周囲の人への恩恵や貢献も視野に入れていき経営をしていきます。

そして、最も大切なことは、未知のものを試すことを決して恐れない。

その姿勢に「幸運」が宿るのだということなのです。

セミナーのご案内、オンライン講座の開講などのお知らせはニュースレター先行で行っています。
ご登録の方には 「成功する起業家が持っている24の資質 vol.1」、「ブランディングの基礎と定義 + ブランディングの手順 ワークシートPDF」 、「あなたのビジネスは成熟していますか?チェックリスト」、「女性起業家が陥りやすい罠と成功の秘訣 動画」を無料プレゼント。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP