成功する起業家が持っている24の資質・06『楽観』

ニュースレターでお送りしている「成功する起業家が持っている24の資質」の6番目の資質、『楽観』についてお送りいたします。

今回、こちらに書かせていただく24の資質は、私自身が38年の起業家として観てきた企業のトップや成功したクライアント達、そして、2012年から個人コンサルテーションをさせていただいた330名あまりのクライアントを観て分析したり、自分自身で経験したことからまとめた内容です。

あなたのマインドセットにお役に立てたら幸いです。

成功する為には『楽観』を意識の中に常に取り入れましょう

『楽観』 とは・・・
自分が思い描いている成功のイメージを常に持ち続け、どんな最悪な事態であったとしても、これから起こるであろう良いことに全神経を集中できることです。

成功する為には、この『楽観』を意識の中に常に取り入れることです。

事態というのは色々な側面があり、最悪だと思えることも、次への大きな飛躍に繋がることだと認識していけると、環境はガラリと変わって行くものなのです。

『楽観』は、特に最悪と見られる事態の時に大きな効力を発揮します。

今日のお話の経営者S氏に初めてお会いしたのは1989年のことです。

私がちょうど株式会社を設立した前年であり、30代のはじめ・・・今から30年ほど前の事です。

知人に訪れた黒字倒産の危機

S氏とはとある経営者向けの勉強会でお会いし、その後、親しくさせていただいて、お仲人までしていただいた方です。

私よりも一回り上の年齢で、30数名からなる大手デザイン会社を15年経営していました。

アパレル関連の大手企業をクライアントに持ち、1991年当時、年商8億を達成なさっていました。

1991年8月の日曜日の夕方、S氏から自宅にお電話がありました。

少々声のトーンが低く、いつもの明るい雰囲気はありません。

『◯◯君はいるだろうか?』

ちょうどその日、主人は前の職場の同僚の結婚式で帰宅が遅い旨をお伝えすると

『実は、明日の月曜日が期日の約束手形の資金が用意できないんだ。
明日、これが決済できないと倒産なんだ・・・
銀行の担当者は夏休み中で連絡が取れず、借り入れもできないんだ。
我が社の経営陣を集めても良い案が出ない。
至急、◯◯君に対策を相談する為に会いたいんだが・・・』

とのことでした。

主人の前職は今でいう「1部上場企業の投資部門」を担う、子会社の投資案件担当で、いわゆる金融のプロでした。

縁があり、結婚とともに私の会社に転職してきた経緯がありました。

S氏は、そんなことを知っているからこそ、最後のツテで電話をかけてきたことが伝わってきました。

帰宅後に、折り返しの電話をさせることを伝え切りましたが、携帯電話など無い時代のことです。

さぞや気を揉まれたことかと・・・

3時間後、21時をまわって主人が帰宅し、早速電話をかけ
『Sさん 明日期日の約束手形の総額はいくらですか?
それは何社に別れていますか?
それと、他社からの預かり手形(支払いされた)は、総額でいくらありますか?』
との質問をしました。

S氏からは・・・
『明日の期日の手形の総額は、3000万ちょっと
支払い先は、12社
他社からの預かり手形は、3000万弱』
との返事が帰ってきました。

それを聞いて主人は
『Sさん。支払い先に手形のジャンプをお願いすれば良いんですよ。知りませんか?
明日、ご説明しますので、打つ手はありますから、今日はもう遅いですからお帰りになってください。
明日、9時前に御社に伺います』
との返事をして電話を切りました。

傍で見ていた私は、「何とかなるものなのか?」と主人に聞きましたが、何も答えません

ご恩のある方の窮地です。
『倒産』という文字だけが頭にグルグルと巡り、ほとんど眠れずに朝を迎えました

翌朝、来なくても良いよ・・・と主人に言われましたが、心配なので一緒にS氏の会社にお邪魔しました。

早速、S氏と経営陣を二人交えての緊急ミーティングです。

対策としては

・今日が支払い期日になっている約束手形を渡した業者に電話をかけ、手形の決済の件で至急話があるからと伝え、銀行に持ち込む前に来社してもらうようにすること

 ・来社した支払い先に、今日の銀行への手形の持ち込みを延期してもらうこと、俗に言うジャンプをしてもらい、新たな日付けを入れた新しい手形と取り替えてもらう(支払いの引き延ばしをお願いする)

・もしくは、S氏の会社が受け取っている大手クライアントの手形と、S氏の会社が振り出した手形とを取り替えてもらう

ここで、約束手形のことを知らない方に、ちょっとご説明をします。

手形とは、用紙に金額、日付等の必要事項を記入して相手に渡し(振り出し)、支払いをするというもの。
記載された期日後でなければ現金化(割引する場合などを除く)できませんが、現金化する場合は、手形を最寄りの銀行に持ち込むことで現金を受け取れます。

こんなサイクルを、午前中いっぱいかけてやっていくうちに、朝、お会いした時にはうつむきかげんで顔色も悪かったS氏の顔が、みるみる明るくなって行きます。

支払い先の業者が全部帰ったあと、S氏がやっと口を開きました。

「昨夜は、本当にもうダメだと思ったんだよ。
いつもの月なら、メインの銀行からつなぎの資金を借り入れられるのに、8月のお盆休みにまたがってたからね。
担当者は夏休みだし、支店長に話してもラチが開かないし、会社には余分な資金は無いしね・・・」

それを聴きながら、私と主人もホッと胸をなでおろします。

S氏が
「黒字倒産になるところだったよ!
それにしても手形のジャンプなんて聞いたことなかったし、さすが〇〇君!
助かったわ〜! 俺はやっぱり運が良いわ!
これで銀行の担当者が夏休み明けたら、早速借り入れを実行してもらうわ」

豪快な大笑いです。

ここまで話したところで、主人が気になっている会社の資金繰りのことで質問をしました。

「Sさん。売り上げは順調に伸びていってるのでしょう?
それでも会社には常に資金がない状況って言うのはよくあることです。
仕入れとかで現金決済が多いのですか?」と。

S氏は
「そうなんだよ、ここ5年は前年対比30%以上の伸びで売り上げは伸びているんだ。
だけど社員も増えていってるし、結構経費がかさんでね。
旅費だの交通費、現金仕入れなど、いつも会社の経理はヒーヒー言ってるよ」

この話を聞いて主人が
「月の経費を予算化しないとまずいと思いますよ。出る方を締めないと。
売り上げが伸びているうちは良いですけど、売り上げが落ちて来た時に、資金繰りが今の数倍きつくなります」と

 S氏は
「解っちゃいるんだけどね。
うちみたいな会社は、現場の施工もある。
新しい取引相手もどんどん増えるし、アルバイトも増えてるからね。
売り上げ増加とともに経費も倍に跳ね上がっていくのよ。
まあ、景気もまだ持ちそうだからなんとかなるでしょう」
と何時ものポジティブ発言が飛び出しました。

それを聞いて主人が口をつぐみます。

私たちは、早々にその場を引き上げました。

「バブル経済」の終焉が予測されるにも関わらず対策をしなかった結末は

私には主人が何を言いたいのかが解りました。

1990年の8月を境にして、日本の金融政策により「バブル経済」の終焉が始まっていました。

1990年の8月に主人からは
「川上の大手企業から徐々に銀行の貸し渋りや回収が始まりますよ。
川下の髙橋さんの業界に影響が出るのは1年くらいかかるかもしれないけど」
と聞いていたのです。

そして、これから話すエピソード時、1991年の8月当時には、とうとうS氏の会社規模の中小企業に対しても、銀行が融資の貸し渋りが始まっているのが手を取るように解っていたのです。

*参考文献「1990年以降の日本の財政・金融政策の実証的評価」石田和彦http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/56415/1/acs079002.pdf 

それでも、S氏の会社は、1991年度も創業以来の最高売り上げ高を更新しそうな勢いで、主人の話は苦言にしか受け取れないようでした。

そうして忙しさにまみれ、S氏ともお会いできない日々が続いた1年とちょっとが過ぎた1993年の6月、衝撃的な電話が入ってきました。

『本日、株式会社◯◯は倒産しました』

S氏の会社の懇意にしていたプロデューサーからでした。

ああ・・・やっぱり、と瞬時に思いながら、主人にそのことを話すと

「Sさんも体制を変えられなかったんでしょう。
あの時(1991年8月)のエピソードはこの前兆だったろうしね」と

私の脳裏には、Sさんがまさか自殺・・という不安もよぎりましたが、翌日、なんとS氏から『お二人に会いたいんだが・・・』と電話がかかって来ました。

その日の夕方、指定された新宿のホテルのラウンジでお会いしたS氏は、やつれた顔と一回り体が小さくなった感じがしました。

そしてポツリポツリと話しだしました。

『◯◯君、髙橋さん あの時(1991年8月)は失礼した。
あの時に君たちが僕に何を言いたかったのかは解っていたんだよ。
会社を拡大路線から適正規模にする時期だったし、売り上げ重視の経営から利益重視の経営に切り替える時期だった。

でもあの時(1991年)は、クライアント企業の予算が過去最高で(クライアント企業の予算は、前年の1990年の売り上げに比例)、あの流れが、あと1〜2年は続くだろうと思っていたんだ。
政府の金融政策が、こんなに早く僕たちの業界にまで浸透するとは思いもよらなかった。
昨年1992年度は、クライアントの予算は前年比の3分の1、今年1993年度はさらに縮小されて。

なんとか対応しようと思って、昨年から対策を練ったり、人員を整理したりしたんだが、手を打つのが遅すぎた』

主人は『最高売り上げの翌年、昨年は税金もすごい金額だったでしょう?』と切り出すと、

S氏は
『そうなんだよ!
それを支払うために、また借り入れをして。
まあ、よく貸してくれたと思いますよ。
でも、それが最後だったかな。

僕は地方の美大の出で、実家は工芸品を作っている工房なんだ。
親子2代の歴史がある工房だけど、子供の頃から良く手伝わされた。
派手では無いし、時代に取り残されているようで。

社会に出てからは、デザインというカッコ好い業界で、東京で大きな会社を作って成功したいと、今まで来たんだ。だから会社を大きくすること、売り上げを伸ばすことだけにフォーカスしていた。
それが今回の失敗だったよ。

起業して15年で8億まで大きくできたけどね。
経営というのは、それだけじゃ無いってことが良く解ったよ。

銀行の借り入れ高は、会社の勲章とまで思っていたけど、銀行は雨振りの時には傘をさしてはくれない。
借り入れ体質の経営が最後のトドメを刺されたね』

私が『今後はどうなさるんですか?』とお聞きすると

『しばらくは今回の後始末をして、お世話になりなった方々への挨拶まわり。
その後は、はっきり決まっていないけど東京にいられなくなったら実家にでも帰るかな』

『足場を変える良いチャンスかもしれませんね。
しばらくは日本の経済もくだり坂で、◯◯さんの足場だったアパレル業界も瀕死の状態でしょう』
と主人。

『そうなんだよ・・・全く違う業界で、全く違う仕事をすることになるだろう。
ま! 倒産したからって命までは取られないだろうから・・』

主人と私は・・・慰めの言葉もでず、その場を立ち去ることにしました。

小さな可能性『楽観』のできる視点を持ち合わせている強さ

そして半年後にS氏から再び電話が入り、お会いした時には、かなり立ち直った様子で

『髙橋さん。ご無沙汰したね。
あの後、不動産の処分やら離婚やら色々あったけど、今は某花屋のホテルへの出店のコンサルをしているんだ。

あの時以来、色々整理するもの・見えていなかったものも解ってね。
このコンサル業務が終わったら、実家に帰って、伝統工芸の世界にどっぷり浸かることになりそうだ。

倒産の経験は痛かったけどね。
まだまだ色々あるけど必要なサイクルだったかもしれないな。
本当に実感するのはもうしばらくかかりそうだけどね。
でも、僕は「物つくり」が好きなんだということだけは解ったよ。

人生はまだまだこれから。僕でもやれることがまだまだありそうだよ』

そんなお話をお聞きして、安堵の想いと「あ〜この方は、やっぱりどんな業界にいても成功していく方なのだ」と実感したのです。

まだまだ懸案事項はあるでしょうに、最悪の事態の中にいても何かしらの展望を持てること、小さな可能性『楽観』のできる視点を持ち合わせていることに、S氏の人間性を垣間見ました。

これからの『展望』や『楽観』が経済の波を乗り越えていける鍵となる

それからの20数年。

お会いする機会には恵まれませんが、風の頼りで、あれから地方で伝統工芸の工房を引き継ぎ、事業をなさっているとのことです。

経営は時として無残な形で決断を迫られることがあります。

資金の問題は、重くのしかかることも。

でも、どんな事態の時でも、小さな可能性『楽観』を見出せさえいれば、なんとか乗り越えていけるものなのです。

でも・・・
その時にあなたの奢りや打算、間違った目的を手放せることが重要です。

そして・・・
潮の変わり目の現在、仮想通貨バブルもその兆候かもしれません。

あなたのこれからの『展望』や『楽観』が、あと数年で激変すると予測される経済の波を乗り越えていける鍵となるでしょう。

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